政治家エピソード連載(甘利明・山口那津男)

政治家エピソード連載(甘利明・山口那津男)

今回は自民党税制調査会長の甘利明先生と山口那津男公明党代表のお二人についてである。まずは甘利明さんだが、先生に最初にお目にかかったのは既に22年程前の話となる。当時の小渕内閣で初めて労働大臣として入閣された時期だったと思う。当時、私の旭化成の直属上司であった山口信夫会長(私は秘書室長)が日本・東京商工会議所会頭に就任することが決まり、大臣にご挨拶する必要があるとのことで、訪問した時と記憶している。面会する直前に、随行した私に話しかけてこられ、「山口さんってどんな人?余りよく知らないんだけど‥」と多忙の中のことでもあり、多少迷惑そうな顔つきをされていた印象が残っている。周囲を余り気にされることなく、自分の考え方をベースにした“甘利節”とも呼べる率直な物言いであった。歴代の自民党政権の中にあっても、例えば所属していた派閥の方針にも“お構いなし”との姿勢で、自分の意思を貫き通す信念の人であった。経済産業大臣も経験され、第二次安倍内閣が目指したTPP(環太平洋経済連携協定)の契約締結交渉にも尽力されていた。私は、経団連の企業人政治フォーラムの代表幹事や、通商政策委員会の経済連携推進部会長をしていた時期もあったので、経団連で講演をしていただいた時などでも、“甘利節”を拝聴してきた。先生は大学卒業後は一旦ソニーに入社され、衆議院議員だったお父上の秘書になるということで、直ぐに退社されたとの由。実は、大学(慶応法学部)では私の3年先輩であり、最初に就職されたソニーには、私も就職の内定をもらっていたこともあり、ある種の親しみも感じていた。話は急転して、つい数日前のことであるが、言論NPO(工藤泰志代表)主催の「モーニングフォーラム」で、先生がゲストとして講話された。著名な経営者・有識者だけの会員限定とした会であったが、私が大幅な時刻をしてしまい、他の参加者を呆れさせただけでなく、先生の講話の"肝心な部分"をも聴き逃してしまったことだ。(言い訳の事情があったにせよ)大変な遅刻をしてしまい、甘利講師をはじめ、参加者や事務局の方々にも申し訳ないと思ったひと時であった。次に、公明党の山口那津男代表とのエピソードである。山口代表には、個人的にも大変懇意にしていただいた時期があった。例えば、家内は「NUNOE(布絵)」作家で、以前銀座にあった文芸春秋画廊で個展を開催した時にも、会場に足を運んでいただいたこともあった。(余談となるが、家内の“NUNOE布絵”作品は、総合誌の月刊「THEMIS(テーミス)」の表紙を5年間程飾らせていただいたし、雑誌「婦人公論」などの数誌・紙にもインタビュー記事として掲載されたこともあった)。山口代表は、あることを契機に、各方面の会合やパーティなどでご一緒しても、目を合わせることを避けられるようになった気がしている。その理由と思われるのが、政治学者として有名な白鳥令さんが創立した日本政治総合研究所の主催で、東京新聞(中日新聞)の代表もされた宇治俊彦さんも常任理事として毎回出席されている「政治問題研究会」での私の質問がきっかけだと推察している。これまでも多くの政治家が講師となってきたが、その日のゲスト講師で招かれたのが山口代表だった。私は講師の隣の席に座っていたのだが、講話の最後に、「どなたか山口代表にご質問は‥」という司会役の白鳥理事長の声が私の名前を呼んだ瞬間、思わず「公明党の後援組織である創価学会の池田大作名誉会長の最近のご様子(体調の方)はいかがですか‥?」と、恐らくタブーに近い質問をしてしまったからだろう。多くのテレビ・新聞の編集委員も同席しており、明らかに山口代表の表情には気まずそうな印象はあったし、政治ジャーナリストの田崎史郎さんが思わず失笑された光景が今でも目に浮かぶほどだ。私は創価学会員ではないが、これまで池田大作名誉会長と一緒に写真撮影もしたし、原田稔現会長とも相席で食事をご一緒させていただいたりもしていた。そのような特別な関係からくる“思い”もあって、前述のいきなりの質問者指名で、思わず出てしまった“悔やまれる質問”が原因だったのではと理解している。