権力闘争下のミャンマー情勢

戦後の著名な映画『ビルマの竪琴』の舞台は、インドシナ半島西部のメコン地域に位置するビルマ(現在のミャンマー)であった。ヒスイ等の宝石、石油、天然ガス等の鉱物資源が豊富で、太陽光発電等の再生可能エネルギーにも恵まれ、経済成長を遂げているが、1962年から軍事政権と、自治権の拡大を求める少数民族の武装勢力との紛争が約半世紀続いてきた。ミャンマー政府は2011年に名目上の文民政権を発足させ、民主化や市場経済化に向けた国づくりへの道を歩み出した。日本は、外交関係樹立60周年となった14年の1月に“和平プロセス後押し”を目的に、総額百億円を支援する方針を発表。15年7月には、「日本・メコン第7回首脳会議」で、当時の安倍晋三首相が、7500億円のODA(政府開発援助)支援も表明した。そのような時期の14年2月に、筆者は「日韓経済協会主催の第3国日韓連携事例ミャンマー視察ミッション」のメンバーとして現地を訪問した。親日的な国民性を肌で感じた記憶が残っている。そのような国が、いま、まさに世界中から注目を浴びている。契機となったのは、21年2月に発生した軍事クーデターだ。背景には、15年の総選挙で、アウン・サン・スー・チー国家最高顧問の国民民主連盟(NLD)が上下院で過半数を獲得したが、対するミャンマー国軍は依然として政治に大きな影響力を持ち続けていたことがあげられる。また、20年11月の総選挙でもスー・チー氏が率いるNLDが改選議席の8割を超える大勝をしたことで、ミャンマー国軍トップのミン・アウン・フライン最高司令官らは、自分達の存在感の低下に危機感を募らせていた。16年から、文民政権の実質トップに立っていたスー・チー氏らは、民主化の旗手として軍事政権に抵抗し、緊張状態が続いていた。そのような状況下で、ミャンマー国軍がクーデターで権力奪取をし、選挙不正疑惑を根拠に、その責任者としてスー・チー氏らを拘束した。ミャンマー国内でカリスマ的人気があり、09年にはノーベル平和賞も受賞している同氏が、十分な証拠も示されないまま拘束され、同国民は一層不満を募らせることになった。結果として、ミャンマー国民の間で軍政への大規模な抗議デモや職場放棄等の「不服従運動」が広がった。デモにはミャンマー全土で、数百万人が参加したと見られ、拘束された人数は2000人(※3月12日時点の数字)にのぼるとの報道もあった。これまでに何度も反軍政デモは起きているが、治安部隊の発砲等で多くの死傷者が出ている現状には、各国からの非難が強まっている。国連安全保障理事会は緊急協議を行い、すでに制裁を発動しているアメリカも追加制裁を示唆し、東南アジア諸国連合も外相会合を開く等、その行方が注視されている。自民党外交部会長の佐藤正久氏は、かつて2年間ミャンマーに出向していた経験もあったことから、テレビのある報道番組で“権力闘争”という言葉を使って現状分析をしていた。残念なことだが、ミャンマーの民主化過程は後退してしまったようだ。さらに、ロヒンギャ難民(バングラ系イスラム教徒)を排除する宗教的な衝突問題への影響や、欧米からの制裁に対する、中国の習近平(国家主席)の守護を信じているミャンマー国民もいることから、同国内での中国による一連の“世界制覇”の企みも囁かれ始めた。※本欄は月刊誌「リベラルタイム」2021年5月号に「匠の視点(第13回)」としても掲載。

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