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「国政復帰」を狙う小池百合子東京都知事

今回のテーマは小池百合子東京都知事の“人となり”、つまり人物論である。小池氏は一言でいえば、「機を見るに敏」のパフォーマンス政治家といえよう。メディア出身で、不都合な状況でも意に介することなく、平然とできる強さがある。例えば、学歴詐称疑惑で話題になった時も、卒業証書を入手し、ためらうことなく披瀝していた。彼女は5つの政党を遍歴し、「政界渡り鳥」と揶揄され、その時々の権力者に近づく等、身の処し方に長けていた。衆議院議員時代には、2008年の自民党総裁選に出馬し、5人中3位だった。12年の衆議院総選挙で自民党が野党から政権復帰すると、再び総裁を目指したが、防衛相を最後に大臣職にも就けず、16年に都知事選に立候補する流れとなった。小池氏は最近、永田町の一部で「ポスト岸田」候補の一人として見られ、これまでもことあるごとに初の女性首相に名前を挙げられ、自らも意欲をちらつかせてきた。国民・都民の生活よりも“自分ファースト”で生きてきた彼女だから、残された政治家人生を有終の美で飾りたいのだろう。恐縮だが、ここで筆者の小池氏に対する個人的な思いを述べさせて頂く。少し時を遡るが、05年の第44回衆議院総選挙の時期のことだ。当時筆者は選挙エリアで言えば、東京10区となる練馬区に居住し、勤務していた旭化成では総務部長(兼:広報室長)に就任する直前の時期であった。それまでは約10年間秘書室長をしていたので、当時、旭化成会長だった山口信夫氏から「秘書室長が長くなって本当に申し訳ない。後一年だけ継続してもらうよ…」という、いわゆる“内々示”を受けていた。会長からの直接の言葉だけにその重みを実感していた時のことだ。現在、岐阜県の衆議院議員で大臣経歴もある棚橋泰文先生が立ち寄られた折に、「水野さん、練馬区にお住まいだったら、小林興起さんが自民党を出られることになったので、代わりに立候補されませんか?」とお声がけを頂いた。自民党本部の関係者からも同様の話を頂いたが、会長から人事案件を聴いていたので、お断りの一幕となった。そこへ登場するのが、私と同年齢であった小池氏だ。彼女は兵庫県生まれの報道キャスター出身で、政界入りした後は、自民党の郵政民営化法案に反対した小林興起議員の刺客として東京10区に転出。当選後は女性初の防衛大臣等、多くの要職もこなした。ある会合で小池氏の講演を聴いたことがあるが、全てが“いいとこ取り”で、自己アピールがうまい印象だけが残った。本質は変わることなく、その後も、例えば21年開催となった「東京オリンピック2020」の運営を、自己顕示のチャンスとばかりに、“我が物顔”でやっていた。16年8月に東京都知事に就任した小池氏は、現在2期目(1期4年)だ。岸田文雄首相が自民党の派閥パーティーを巡る裏金問題で政権運営に苦闘している現状にあることから、「ポスト岸田」を念頭に、今年24年7月予定の東京都知事選挙に立候補するかどうかが注目されている。その出馬についても小池氏は“思わせぶり”な態度を見せ、明言を避けているようだ。現在、衆議院選挙の時期は不明なので、その前の4月28日投開票の衆院東京15区補欠選挙への小池氏の立候補が噂されている。東京都知事(任期の残りは2か月だけ)を辞任し、まずは自民党に復党し、初の女性総裁を狙って国政に戻ることもあり得そうだ。※本欄は月刊誌「リベラルタイム」2024年5月号「匠の視点」第49回としても掲載。

安倍晋三長期政権の立役者・二階俊博元幹事長

2024年3月25日、自民党の裏金問題との関係で、二階俊博元幹事長が次期衆議院選挙には出馬しない意向を示した。派閥の二階派所属議員3名に違法なキックバックがあったとの報道もあり、その「政治責任を果たす」と言明した。先月2月に85歳を迎えており、現在の和歌山県での選挙区をご自身の子息(三男が有望との説)に譲る為にも絶妙のタイミングだ。今後の地元との影響も取り沙汰されているが、岸田文雄政権への政局にも繋がりかねない。6月選挙となるかどうかは、「岸田氏の胸の内」。そこで、筆者が2019年3月に執筆した連載中の「政治家エピソード」で二階氏を取り上げていたので、原文のままをここで披露させていただくことにした。

政治家エピソード連載(二階俊博)

­政治家エピソード連載の第9回目となる今回は、現在の安倍長期政権の運営の最大の担い手である二階俊博幹事長である。パーティ等ではお目にかかっているが、最後に直接お話しをしたのは、日本政治総合研究所の白鳥令理事長(東海大学教授)主催の「政治問題研究会」でゲスト講話(その時の一コマの写真撮影も筆者の経歴欄に掲載)され、会場を出られる際に、参加していた私が会場からエレベータまでご一緒した時だった。「先生、旭化成の水野です。覚えていただいていますか‥?」とお声がけすると、「オゥ、知っとる、知っとる!」とご返事をいただき、立ち話をさせていただいた2016年10月のことだったと思う。実は前年5月開催の同会でも、メディア関係の参加者などとご一緒に、二階さんの「政局所感」もお聴きしていた。昔は小沢一郎氏の側近だった時期もあったので、正直に言えば、私には若干のネガティブイメージが残っていた。しかし、今では日本国のために「真の政治仕事師」として尽力されている。“小沢さん”で思い出したので、恐縮だが、話が一旦小沢一郎さんに飛ぶことをお許しいただきたい。実は有名企業の総務・秘書担当責任者などの一行が小沢さんと一緒に蓼科で過ごしたことがあった。もう30年近くも前の昔のことだ。私も含めて6~8名だったかと思うが、前半には当時の小沢さんの?ゴルフコースでハーフ(2組いたのでそれぞれに)だけ一緒に回り、その後で小沢さんの別荘で食事もご馳走になったことがあった。名前は失念したが、その頃の秘書のお一人が小沢さんの“ご意向”を踏まえ献身的に私たちのお世話をされていた。ほぼ一日を小沢さんと身近で過ごしたので、“実像?”をも垣間見た感じの貴重な体験だった。影響力があった時代は「人事とお金を掌握することが大事」であり、その後も「自分の言うことに従う者だけが残れ」との強面の姿勢だったので、これまで多くの政治家が小沢さんから離反していった。二階さんも“小沢離れ”をした後は、ご自身が身を置いてこられた数々の各政権内における“名仕事師”ぶりを発揮されてきた。最近でもその名残りは見られ、国会における野党の数々の“パフォーマンス追及”に対しても「だから何‥」というスタンスだ。これまでの年季と実績(つまり実力)で、いまさら格好をつける必要もなく、例えば国会における答弁で、二階さんに「それがどうした‥」との姿勢で淡々と答弁されてしまえば、質問者は二の句が告げない状況だ。対中国での外交面では、古くから“親中派”の権化的な存在感を示してこられ、事例として思い出されるのは、2015年に習近平国家主席に安倍首相の特使として親書を渡されたことだ。かつて経産大臣や運輸大臣をされたこともあり、経済界との連携も上手くとられ、日本経済への影響力もあった。

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