政治家エピソード連載(福田康夫)
最近の話題は「新型コロナウィルス」の感染拡大の影響のことばかりで、緊急事態宣言も出され、人々の外出もままならない状況が続いている。本欄(2月1日付新着情報)で取り上げた小池百合子東京都知事も連日テレビに映し出され、(内面は見せないが)7月予定の都知事選での再選に向けたアピールチャンスとばかりに、控えめではあるが“外出自粛”をもっともらしく訴えている。既述の新着情報をお読みいただいた方には(その意味合いは)ご理解いただけるかと思うが、その点でも気分がいいとは言い難い。やはりというか、直近の週刊誌報道などでも、「国難の中、自己PRに都民の血税9億円」などの批判的な記事も出始めた。そこで、気分転換の意味合いもあり、継続中の「政治家エピソード連載」を執筆することとした。第10回目となる今回は福田康夫元総理を取り上げたい。まずは“福田元総理”であるが、言うまでもなくお父上も同じ“元総理”の福田赳夫氏である。父上は、旧大蔵官僚出身のエリート政治家の典型の方で、田中角栄元総理と“角福戦争”なる闘争も繰り広げた人物。私は、同氏の恐らく晩年の最後の“挨拶(演説)”だったと思われるが、壇上の真下から見上げる位置で拝聴したことがあった。詳細は省くが、大勢の人たちがいた会場であったこともあり、挨拶のはずが、いつしか演説口調でかなり長くなり、「“さすが”というよりも、誰かそろそろ止めに入った方がいいかな‥」という印象が残ったのが正直なところだ。ここで、本題の赳夫さんのご子息で首相にもなられた康夫さんのエピソードに入る。このコーナーでも記述したことがある日本政治総合研究所(白鳥令理事長)主催の「政治問題研究会」に、ゲストで講話をされた時に、私は隣の席で朝食を共にし、お話しを聴いたことがあった。その他、日中関係の会合や言論NPO主催の会合(「東京―北京フォーラム」最高顧問をされていた)の会場などで立ち話をする機会も数回あり、いつも誠実で紳士的なお人柄を肌感覚で実感していた。日本と中国との友好関係に向けた活動では、「平和友好条約を締結して40年が経った今、何をすべきだろうか(2018年9月時点)」などと発言もされている。その康夫さんの地元である群馬県第3区の中選挙区時代(1994年まで衆議院選挙で用いられ、一つの選挙区から複数人を選出)の話になるが、その選挙区では中曽根康弘・小渕恵三・そして福田赳夫・康夫さんと4人もの首相を輩出してきた。これは他の選挙区では例がないこと。この選挙区で、特に福田赳夫・中曽根康弘のご両名の争いは熾烈を極め、“上州戦争”と呼ばれたほどだ。康夫さんは、1990年2月の第39回衆議院総選挙の時に初当選し、2012年9月に引退表明しているが、ご子息で現在は衆議院議員の福田達夫さんとも面談したこともある。達夫さんが勤務されていた三菱商事を退社される前後のことだったか、父上の事務所で私設秘書になったばかりの頃だったはずだが、私がまだ旭化成の常務をしていた時分に訪問を受け、お会いしている。達夫さんは2017年8月の第3次安倍改造内閣で防衛大臣政務官兼内閣府大臣政務官に就任しており、いつしか衆議院で3選も果たしている。このような“華麗なる一族”とのご縁もあった。