少額になった「政治とカネ」

少額になった「政治とカネ」

相変わらず政治家にまつわる不明瞭な金銭の授受や不適切な支出が指摘され、メディアで話題になることがある。「政治とカネ」のテーマは、日本に古くからある政治課題の一つで、将来にわたって解決困難な根深さがあるようだ。年代を少し遡ると、政治資金規正法(規制法ではないので念のため)が制定された1948年に「昭和電工事件」があり、76年に発生した田中角栄元首相が逮捕されるという「ロッキード事件」、さらには88年に戦後最大級の疑獄事件といわれた「リクルート事件」があった。そして、民主党政権が誕生した2009年に鳩山由紀夫元首相が母親から9億円超えの資金提供を受け、〝偽装献金〞といわれた問題等が想起される。これらは、過去の「政治とカネ」にまつわる〝事件〞の数例に過ぎない。それらの〝事件〞とお金がからんだ視点でいえば、当時はその額の大きさも桁違いに大きかったし、多くの政治家をも巻き込んだりするほどの影響力があった。現在はどうかといえば、金額の多寡が問題ではないことは承知だが、そのカネ(金銭)の額は大半が少額。それでもメディアに取り上げられ、国民の関心を集めたことで、その責任をとる形で閣僚辞任や中には議員辞職をするケースさえ散見された。政治活動をするには資金が必要であることはいうまでもない。それを支援関係先(個人・企業・労働組合・団体等)からの献金や政治資金パーティ開催による収入、そして政党助成金(政党交付金とも呼ぶ)により賄っている。野党の一部には、カネが絡むと、ことさら大問題との視点で扱い、現政権を追及するきらいがある。時には議員本人の認識はなく、秘書の手違い等により生じた問題でも、この時とばかりに自身のアピールに注力する者もいる。最近では、昨年4月開催の「桜を見る会」における安倍晋三首相に対する批判である。即ち、招待基準が曖昧で、公金(税金)で開催される行事に、地元有権者を〝総理枠〞として優先的に招待したとの指摘だ。私は2013年4月20日開催の同会に招待された経験がある。その前年12年末の総選挙で自民党が圧勝し、政権与党に復帰し、第2次安倍内閣が発足してはいたが、私が招待を受けたのは〝外務省枠〞だったと思う。何故なら、その13年3月に私は外務省の「外交・安全保障調査研究事業費補助金審査・評価委員会」委員長に就任した時期で、慌ただしく出欠の確認等の連絡を受けたのは外務省の方だったと記憶しているからだ。当時の私の手帳には、「新宿御苑8時30分〜10時30分、安倍総理は9時30分到着予定」とメモ書きされている。話を戻すが、同会に関する連日のメディア報道には、正直なところ辟易とさせられた。国会における審議の場でも、重要課題が山積する中、野党はその点でも、国家・国民優先のプライオリティを顧みることなく、「税金で開催されている行事の私物化」等と追及に多くの時間を割いていた。野党の劣化は著しく、支持率低位の原因を実感させられた。そして、この問題を取り扱う報道姿勢にも気になる点が多かった。※本論は月刊誌「リベラルタイム」2020年5月号に「匠の視点(第1回)」としても掲載。