政治家エピソード連載(小渕優子・松島みどり)

かつてNHKの国際局でチーフ・プロデューサーとして活躍された原島一男さんが理事長をつとめる「一般社団法人内外メディア研究会」(私は副理事長を拝命)は、今年7月で創立4周年を迎え、5周年目に入っている。毎月開催の例会では、これまで数々の著名な“マスコミ関係者”に講演していただいている。“こだわり”をもって理事長が選定したゲストには、ほんの一例を挙げても、読売新聞の橋本五郎、NHKの島田敏男、共同通信の杉田弘毅、朝日新聞の西村陽一、雑誌「財界」の村田博文‥‥等々の各氏である。そこで本題だが、前回の本コーナーでは勝手に執筆予定とさせていただいた政治家30数名の先生方の中から、第1回として中曽根康弘、中曽根博文のご両名を取り上げ、第2回には山崎拓、伊吹文明両先生とのエピソードをご紹介した。今回は冒頭でメディアを話題にしたこともあり、ジャーナリスト出身の先生を取り上げたい。政治家には新聞やテレビ等で有名になったことが政界転出のきっかけとなった先生も多く、割合からすれば自民党よりは野党(例えば、旧民主党出身者)が多いようだ。但し、知名度の有無よりは、やはり「政治家としての使命感」への気概と本気度がポイントとなる。今回はTBSテレビ出身の小渕優子先生と朝日新聞記者だった松島みどり先生のお二人とのエピソード。まずは、経済産業大臣などの要職も経験され、日本初の女性首相も期待される小渕先生。ご縁のきっかけは、先生のお父上で「平成」の新元号を官房長官として発表したことでも知られ、その後総理に就任された小渕恵三元総理と緑茶飲料「お~いお茶」がヒット商品となった伊藤園の創業者である本庄正則さんが懇意にされていたことまで遡る。その本庄社長(当時)が旭化成に来社され山口会長に面会された時に、山口さんは本庄さんの人間性に“一目惚れ”し、本庄さんが帰られた後、陪席していた私に“その思い”をささやかれたことがあったが、私も全く同感だった。少し話が飛躍する印象もあるが、そのような流れもあって、優子先生には、旭化成の秘書室長、総務部長などをしていた私も大変懇意にしていただいた。例えば、私が取締役に就任した2007年に、先生が珍しく大阪で政治懇親会を開催されたことがあったが、(関西地区での秘書・総務も所管していた私は)旭化成の社有車で会場までご一緒したこともあった。実は、その車の中での雑談で、偶然ではあったが、初めての子供さんを身籠られたこともお聞きしている。その他にも、私がある雑誌社のミッションで中国経済視察団(10名程度)の団長をつとめた時にも、小渕事務所の秘書の方をメンバーとして派遣していただいたこともあった。また、私が日本秘書協会の理事長をしていた時には、会員などとのある懇親会場でスピーチまでしていただく等々、本当にお世話になった。次にもう一人の先生、赤いスーツでお馴染みの松島みどり先生であるが、直近でのやり取りは、旭化成の名誉フェローの吉野彰さんが今年のノーベル化学賞を受賞(旭化成勤務時代の先輩でもある吉野さんと私との関係については、10月の本欄にて掲載)が決まった時だ。法務大臣等も経験された松島先生は、朝日新聞を退社したあと政界に転出したが、初めてとなる1996年の衆議院選挙では僅差で敗れ、その後、2000年に衆議院議員になられた。初当選するまでの期間は、TKYOMXテレビの番組制作の仕事などをされていた。当時、秘書室長をしていた私のところに来社され、「何か番組制作につながる話題は無いですか?」とのことだったので、「将来のノーベル賞候補になるかも知れないですよ‥」と吉野さんのことを話題にした。直ぐに取材されたところ、吉野さんが大阪府立北野高校(大学は吉野さんは京大、松島さんは東大)の先輩だったこともあり、吉野さんの旭化成での研究の成果である「リチウムイオン電池」のことなどを番組の中で取り上げていただいた。その当時の思い出話を私と語り合いたいとの意向で私に面会依頼があったのが、ノーベル化学賞の発表があった数日後であった。松島先生とのエピソードもまだまだあるが、この辺りでやめておくこととしたい。