揺らぎ始めた中国「習近平政権」
2019年10月に建国70周年を祝う「国慶節」記念式典をした中国は、今では軍事・経済大国の仲間入りを果たしている。その一党独裁制の中国共産党の最高指導者で、“国軍”の人民解放軍を統帥するのが、中央軍事委員会の習近平(国家主席)である。年1回開催の全国人民代表大会(通称「全人代」)で選出され、名実共に国家のトップだ。2013年3月に国家主席に選出され、20年4月で発足8年目に入ったが、一昨年2018年の憲法改正で、国家主席と国家副主席の任期制限(2期10年)を撤廃し、2023年から3期目に入ることも可能にした。アメリカのフォーブス誌が2018年にまとめた「世界で最も影響力がある人物」ランキングで、これまで首位の座にいたロシアのプーチン大統領を2位に後退させ、習氏がトップの座についた。筆者は、日中経済協会・言論NPO等が主催する会合に出席するため、これまで幾度となく訪中してきた。例えば、古くは2006年に現代創造社主催による「第18回中国経済視察団」代表として、北京の人民大会堂において呉忠澤(中国科学技術部副部長)と対談、2012年にはハルビンが省都である黒竜江省での日中経済協会主催「日中協力会議」で吉炳軒(中国共産党書記)に面会、さらに2015年には経済団体の「合同訪中代表団」の参加者として、李克強(中国首相)と一緒に記念撮影もしている。これらを始めとする訪中体験で中国の変貌を観察しており、自分なりの“中国観”を持っている。そこで、“躓(つまづ)き”始めた政権の行方を考察することとした。まずは、今なお終息できずにいる中国武漢で発生した新型コロナウイルスへの初期対応後に、隠蔽工作をしたことの疑惑がある点が挙げられる。次に、経済成長率が落ち込む中で開催となった本年5月の全人代において、周囲に“異例な印象”を与えた点である。それは、経済成長率目標を掲げなかったことであり、さらには、その発表者であった李首相が原稿の“読み間違え”をしたとして、習氏が公然と李氏に冷ややかな態度を見せたことで、両者の不仲説が語られ始めたことだ。今では李首相の辞任(本人は辞表を提出)も囁かれている。習主席は、2012年後半に党トップ就任以降、(反腐敗運動を通じてではあるが)約150万人もの当局者を摘発している。外国企業に対中直接投資の誘致に尽力してはきたが、多国籍企業を中心に輸出製造拠点を中国からベトナム等へ移転している状況で、“世界の工場”の地位も揺らいでいる。香港情勢や米中関係の一段の悪化等もあって、“アンチ派”の動きも浮上し、人民の支持が低下し、人心も離れつつある。さらには長雨による増水で三峡ダムが倒壊する恐れもあるとの報道がなされている。“米中冷戦”により、対米輸出は減少する一方であろうし、日中関係でも、習氏は本年4月初旬に国賓として訪日する予定が“コロナ危機”で延期となり、両国関係改善で功績を残した安倍晋三前首相も辞任。「習近平政権」を取り巻く政治的環境は不安定化し、四面楚歌とも言える習氏は相当な苦境にあると見るべきだ。今後の日中関係を見据えた時に、菅義偉新政権は増大する“チャイナ・リスク”の見極めも重要となろう。※本論は月刊誌「リベラルタイム」2020年11月号に「匠の視点(第7回)」としても掲載。