“トップ”は自分の発言の重みを自覚するべし

「私」などの一人称で始まる発言は、発言者の立場によっては、重大なリスクに直結する場合がある。例えば有力な政治家や実業家に失言があれば、その影響は計り知れない。仮に一国の大統領や首相などの発言であれば、外交問題にも発展しかねないし、自国を亡ぼす危険さえある。企業などの組織のトップであれば、その会社の経営破綻を招くことにもなり、多くの社員が犠牲となる。見識があるはずの人物が、大勢の人を前に話すと、思わず話題が自己中心的なものになり、時には“トップシークレット”さえ漏らしてしまう。ご当人としてはサービス精神のつもりであったとしても、聞き手はそこまでは求めていないと考えた方がよい。このように、「自我が先んじる」習癖のあるトップは特に自分の発言の重みを自覚すべきであろう。視点は変わるが、もう一つ触れておきたいのは、失言に対するメディア報道のあり方だ。テレビ・新聞・雑誌等では、発言のごく一部を切り取って報道し、人物イメージを意図的に落としめることがある。不用意に発した失言により、本音がメディア報道で表面化することになる。責任あるトップの発言だけに、内容によっては、糾弾したくなる気持ちにはなるが、その部分だけをクローズアップして叩く姿勢は、それを見る側も気分が悪くなる。視聴者の中には「本当にそうだろうか?」などという冷めた視点で見聞きしている人も多い。報道はフェアが前提であり、報道陣も真実や真意を読み取ろうと情報収集にあたっているはずであり、その姿勢こそが一流メディアの証しである。