“コロナ危機”に対する「無責任な発言」は控えるべき

“コロナ危機”に対する「無責任な発言」は控えるべき

実は、昨年2019年10月にも同様の「完全コピー」掲載をしたことを予めお伝えしておきます。月刊誌「THEMIS(テーミス)」の直近8月号の巻頭言「大喝」の内容は、全く同感でとても要点をついており、同誌の発行人・編集者のご了解はいただいてはいないが、余りにも素晴らしいので本コーナーで掲載させていただくことにした。 (※但し、見出しのみ著者が変更) =====================================================================================新型コロナは一時、収束の気配を見せたが、7月22日現在、再び拡大の傾向にある。東京の夜の街への立ち入り検査や「Go Toトラベル」が方針転換され混乱が続いている。それを野党や一部メディアは盛んに批判するが、未知で強力なウイルスとの闘いである。新聞や月刊誌では数か月前から「コロナ後」の社会・企業・医療などのあり方について、学者や評論家の分析や提言が散見されるようになったが、殆どが「いってみるだけ」である。論文の最後は「…望むものである」とか「…検討が求められる」で終わっている。所詮、間違っていても責任を問われることのないお気楽な言説である。ある新聞は「アベノマスクは小さ過ぎる」とか「安心感が感じられない」と批判したあと、「(コロナ拡大と)戦う覚悟が伝わってこない」と酷評していた。また他の新聞では「首相は自分の言葉で語れ」と記者会見での首相の慎重な発言を叱咤していた。「アベノマスク」は不評だったが、あの時点ではないよりましだった。また首相は、記者会見で用意された原稿に目を落としながら語ることが多かったが、失言でもしようものならメディアが競って揚げ足を取り攻撃する。危機に臨んだ対応で発言が慎重になるのは当然である。新型コロナ発生以来、テレビの情報番組は連日のように政府・自治体・医療機関の対応を、事態も把握せず、現場の苦労への想像力も欠いたまま批判してきた。今も続いているが、読売新聞が7月17日から始めた『検証コロナ 次への備え』は、政府の対応、プリンセス号の実態、自衛隊の活躍、厚労省の怠慢などを丁寧に報じた。それを読むと、当時のテレビで評論家やコメンテーターが喋っていたことが、事実に基づかない無責任そのものの発言だったことがわかる。しかし、学者、評論家、コメンテーターが過去の発言を訂正したり謝罪することは殆どない。またメディアも彼らを追及しない。危機に直面した責任者は、いくつかの選択肢の中からベターなものを選び、決断し、実行しなければならないのだ。無責任なのはテレビだけではない。政治家、特に立憲民主党の枝野幸男代表らである。「Go Toトラベル」などの経済活動を、絶好の季節である夏に前倒ししろといっていながら、感染拡大を見るや政府に総辞職まで要求している。そんな変節で支持が増えるわけがない。

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