報道に「完璧な公平性」はあり得ない
個人的な話で恐縮だが、最近気になる言葉に「オールドメディア」と「リベラル」の二つがある。今回はこれらをテーマに設定し、筆者の考えを述べる。一般的に「オールドメディア」とは、近年台頭しているネットメディアに対して、電波を媒体とするテレビ・ラジオや活字媒体による新聞・雑誌・書籍(紙媒体)等の既存の伝統メディアのことだ。もちろん、私が連載執筆をしている月刊誌「リベラルタイム」もオールドメディアに属している。2つのメディアは、同時性と速報性、それに伴う情報の正確性に対するウェイトに違いから、同じトピックを報じる際にも微妙な差が生じる。「オールドメディア」はかなり以前から衰退傾向に入っているといわれている。大手メディア各社は膨大な情報発信を長年にわたり継続してきた。しかし、1990年代後半から2000年代にかけて、各種ウェブサイト、ブログ、SNS、YouTube等の「デジタル媒体」が台頭してきた。今日では重大ニュースが発生した場合、まずはSNS等で速報が流れ、詳細かつ正確な情報は後追いで発信する流れとなっている。デジタル媒体はスピードや双方向性に強みを持つ一方、情報の詳細さや、正確性に難があったり、拡散力の大きさから、個人による問題行動に過ぎない事柄が所属する組織全体に波及したりもする。「オールドメディア」は、双方向性はなく、情報を一方的に届ける仕組みだ。多くのメディアは発信内容をチェックする体制を有しており、発信する情報は裏付けのとれたものを前提としており、誤報の可能性は付き纏うものの、総じて情報に対する信頼性は高い。しかし、発信・受信という立場の違いから、情報の信頼性を第1とするオールドメディアと受け手側では情報の価値基準の乖離が生じ、衰退へと繋がっている。次の「リベラル」に関してだが、そこには思想的なイメージも内在しており、それもどちらかといえば進歩主義(左翼的)ということのようだ。だからリベラル派という言葉も使われたりする。私を知らない方は、私はリベラル派に属していると勘違いされる可能性もあり得る。だが私は保守主義の方であろう。私は現在「一般社団法人内外メディア研究会」の理事長の立場にある。同研究会の設立は2015年7月で、昨年には10周年記念例会・関係者懇親会を行った。ほぼ毎月1回、千代田区内幸町にある報道・メディアの中枢拠点として有名なプレスセンターの「日本記者クラブ(大会議室)」で会合を開催している。主催者の一人として、講師の人選・依頼や司会進行役も務めている。設立当初からともに活動してきた原島一男理事(現会長)始め、会合の参加者や知人は、筆者に対して「リベラル派」の印象は全くないはずだ。そして、筆者自身保守主義という自認があるからこそいえることだが、保守・リベラルといった立場の違いや、ネット媒体か、既存のオールドメディアかに関係なく、メディアによる報道は発信者の持つ属性による傾斜は避けられない側面がある。メディア企業所属の記者や、その上司の考え方が、報道の際に槍玉に挙げられることもある。政治や国際情勢に関する報道は、左右問わず、発信するメディア側の制作スタッフや、その上司・経営幹部等の〝政治観〞が入り込み、完璧な公平性を求めるのは不可能だからだ。仮に『媚中派』として知られる記者による報道があった場合については、記者の政治観を念頭に置いた上で情報を判断すべきであろう。
“トップ”は自分の発言の重みを自覚するべし
「私」などの一人称で始まる発言は、発言者の立場によっては、重大なリスクに直結する場合がある。例えば有力な政治家や実業家に失言があれば、その影響は計り知れない。仮に一国の大統領や首相などの発言であれば、外交問題にも発展しかねないし、自国を亡ぼす危険さえある。企業などの組織のトップであれば、その会社の経営破綻を招くことにもなり、多くの社員が犠牲となる。見識があるはずの人物が、大勢の人を前に話すと、思わず話題が自己中心的なものになり、時には“トップシークレット”さえ漏らしてしまう。ご当人としてはサービス精神のつもりであったとしても、聞き手はそこまでは求めていないと考えた方がよい。このように、「自我が先んじる」習癖のあるトップは特に自分の発言の重みを自覚すべきであろう。視点は変わるが、もう一つ触れておきたいのは、失言に対するメディア報道のあり方だ。テレビ・新聞・雑誌等では、発言のごく一部を切り取って報道し、人物イメージを意図的に落としめることがある。不用意に発した失言により、本音がメディア報道で表面化することになる。責任あるトップの発言だけに、内容によっては、糾弾したくなる気持ちにはなるが、その部分だけをクローズアップして叩く姿勢は、それを見る側も気分が悪くなる。視聴者の中には「本当にそうだろうか?」などという冷めた視点で見聞きしている人も多い。報道はフェアが前提であり、報道陣も真実や真意を読み取ろうと情報収集にあたっているはずであり、その姿勢こそが一流メディアの証しである。