「女性初の自民党首相」の座を勝ち取った高市早苗氏

「女性初の自民党首相」の座を勝ち取った高市早苗氏

2025年10月4日、石破茂首相の後任を選ぶ自民党総裁選で、高市早苗・前経済安全保障担当相が第29代自民党総裁に選出された。決選投票で本命視されていた小泉進次郎・農林水産相を破った末の勝利だった。投票会場の様子がテレビ数局で生中継されており、筆者も某チャンネルで決定の瞬間を固唾をのみ、目をこらして見守っていた。その番組で、投票直前にあった、司会者からの結果予想の問いに、政治ジャーナリストの田崎史郎氏、そして元自民党幹事長でもあった石原伸晃氏の両氏がともに小泉候補の勝利を予想していた。(内心)高市支持側であった筆者は不安げな面持ちであった。なぜなら、オールドメディアの大半が小泉氏に偏った報道をしていたからだ。ここで、筆者が高市氏勝利を内心期待していた事情に触れることにする。振り返れば、09年4月、私が日韓経済協会が主催する日韓経済人会議出席のために訪韓した時に、当時経済産業副大臣として視察に来られた高市氏と、会場の韓国国際展示場でご一緒したことがあるからだ。その際には、親しく会話をしたことを覚えている。また、会場には当時の李明博(イ・ミョンバク)韓国大統領もおられ、日本の代表団数名と順に握手を交わされていた。(たまたまではあったと思うが)私の順番がきた時に韓国の『KBSテレビ』がその接見の様子を放映(その映像は私のホームページに掲載中)するという稀な体験もした。また、高市氏・李大統領も含めた日韓の代表団での記念撮影にも同席している。また、20年9月、高市氏が総務大臣をしていた時の話。自民党本部発行の「自由民主」が私宛に届き、そこには、衆参両院の委員会での11回の答弁等、総務大臣としての高市氏の1年間の活動報告が記載されていた。高市氏には、経団連やその他の会合でお目にかかることもあったが、いつも自信に満ちた雰囲気が印象的だった。本題に戻るが、高市氏は安倍晋三元首相と1993年実施の第40回衆院選での初当選同期で、安倍氏に思想信条も近く、党内きっての保守派と見なされていた。だから、2021年の総裁選に初めて挑戦した際は安倍氏の後押しもあり、議員票で4人中2位。翌年の22年7月に、参院選の応援演説で各地を回っていた安倍氏は、高市氏の地元選挙区である奈良県での演説中に銃撃され死亡した。衝撃を受けた高市氏は安倍氏の「遺志を継ぐ」と公言し、安倍氏亡きあと、高市氏は24年に2度目の総裁選に挑戦。決選投票にて、僅差で石破氏に敗れ涙をのんだが、3度目となる今回の総裁選で勝利した。保守路線の堅持を主張する高市氏は圧倒的多数の党員票を得、結果として議員票の獲得にも繋がった。そして、次に触れておきたいのは、やはり麻生太郎氏と菅義偉氏という両首相経験者の〝心に秘めた対立〞の件だ。菅氏は小泉候補の地元(神奈川県)における後見人としての立場で、小泉氏を支持・応援してきた。そこで触れておくべきことは、麻生太郎元首相が〝キングメーカー〞としての存在感を示した点だ。決戦投票の終盤から高市氏の周囲を固め、演出もしながら総裁選勝利に導き、さらには26年間も継続してきた公明党との連立離脱の流れにもなったが、これも覚悟のうちだ。高市新総裁は、10月21日に召集された臨時国会で首相指名を受け、日本初の女性首相誕生となったが、厳しい船出となるだろう。