尹大統領の「戒厳令宣布」で日韓関係に暗雲

尹大統領の「戒厳令宣布」で日韓関係に暗雲

2024年12月3日、韓国の尹錫悦(ユン・ソンニョル)大統領が唐突な印象の「戒厳令」を宣布した。22年5月発足で第20代大統領となった尹氏は、5年ぶりの保守系政権。それまでは、北朝鮮からの避難民の息子として生まれ、左派の元市民運動家だった文在寅(ムン・ジェイン)大統領の5年間で、日韓関係は戦後最悪とまで冷え込んだ。巨大な権限をもつ大統領となった尹氏は、これまでとは真逆の対日融和政策をとり、23年11月には訪日して当時の岸田文雄首相との日韓首脳会談も実現。そのような尹氏に対して、24年12月5日には弾劾訴追案が韓国国会で可決し、大統領職務は停止され、今後は罷免の可否を判断する憲法裁判所で審判されることになった。結果次第では内政や外交への影響は必至だ。これまでの韓国の大統領の弾劾訴追は盧武鉉(ノムヒョン)、朴槿恵(パククネ)両氏の2件だったが、それに続く3例目だ。(※朴氏は憲法裁の判断で罷免)尹氏は元検察官で、前職は第43代検察総長で、大統領任期が5年あり、法案の拒否権・最高裁判所長官の任命権、国軍統帥権を権力を握った。ただ就任当時から国会では少数与党状態で、国会は野党に握られたまま。尹氏の思いは、「野党の背後には北朝鮮がいて、これに自分が屈服すると大韓民国そのものが北朝鮮の影響下に入ってしまう」というぐらいの危機感があつた。だが、キム・ゴニ(金建希)夫人のスキャンダルを筆頭とする政権に対する様々な批判も出て、支持率は20%前後まで下がってしまっていた。大統領としては展望が開けず、国会が敵に回ってしまい、与党の党首も大統領と距離を置いていたようだ。神戸大学木村幹教授によると、今回、最後に打った手が、ある意味では最悪の選択だったようだ。「韓国の国会において、戒厳令というのは戒厳令を宣布した後、国会に遅滞なく通報し、その国会の許可を得る必要があり、戒厳令を否定したら解除されてしまうという規定がある」からだ。国会が開かれてしまうと戒厳令を宣布した意味はなく、そこへの対応は国会の活動の停止、力を使って国会の停止を実現することになり、これ自体憲法違反のはずだが、尹氏はそういうことを実現しようと思ったようだ。だから、まずは警察、そして軍を国会に派遣し、物理的に国会を開催させないようにしようと試みたと思われる。戒厳令を宣布するに至ったもう一つの理由には、軍の一部、特に国防部長官と陸軍参謀長の支持があつたことは明らかだが、ただ同時に国会の封鎖をめぐる状況で軍の実際の動きを観ると、そのような軍の一部の強硬派の意見に下位の指揮官・兵士たちは全く同調していなかったと判断できよう。その点では、大統領が単に浮き上がつていただけでなく、軍の首脳部も浮き上がっていた。12月8日に、最大野党・共に民主党の議員に対して、尹氏の弁護団所属のある弁護士は、「共に民主党と警察・裁判所間の『内乱コネクション』の解明」を求めたが、ある野党議員はブログで「内乱首謀者の尹氏を必ずや逮捕する」と書いており、この混乱状態の結末が読めない。自らの意見・考えだけで行動に走る尹氏を、周囲(国防相や、戒厳司令官という大統領の次のポストに座った陸軍参謀総長等)は止めることも出来ず、韓国社会の中で龍山(ヨンサン)にある大統領府、大統領そのものが現実から乖離したような形で浮き上がっているという状態。少数と言えども軍隊まで動き、クーデター未遂とも受けとめられる今回の事件は、日韓関係をも悪化させることになる。ただ、非常戒厳宣布から1カ月後の最新世論調査(TV朝鮮)では支持率40%のV字回復をしており、韓国社会は先が読めない。