李克強首相を失い失速する「中国経済」
中華人民共和国は直近30年間で軍事費を約40倍にも増加させ、いまやアメリカの覇権に対抗し得る能力を持つ国になった。中国共産党の習近平国家主席は、2024年7月に第20期中央委員会の第3回全体会議(3中全会)を終え、中国経済に関する長期ビジョンを公表した。「3中全会」は約400名の政府要人や人民解放軍首脳等が北京に集まり、政治・経済のかじ取りについて議論するものだ。開催直前の6月に習主席ら政治局員24名からなる党中央政治局は議案について討論していた。5年に一度開かれる「3中全会」で打ち出される政策は経済政策の基本方針のはず、と注目されていた。だが、蓋を開けてみたら「中国式現代化(習氏の独自の価値観)の推進」という抽象的な言葉だけで語られ、具体策は出ていなかった。採択文書では、習氏の偉大さを強調する言葉は少なく、胡錦濤時代までの集団指導体制を連想させる表現が増え、習近平体制の揺らぎを感じさせた。柯隆氏(東京財団政策研究所・主席研究員)によれば、いまの中国経済は非常に行き詰っており、「三中全会」は当初、23年10月開催予定であったという。結局、遅れに遅れて開きはしたが、発表された経済統計は内外から期待を込められていた数値目標ではなかった。23年の共産党大会期間中での経済統計発表のはずが突然延期された訳であるが、政治の都合で発表しなかったり、発表方法が変わったり、というのは中国でも異例のことだ。統計の説明には透明性を高める努力が欠かせないはずであるが、発表した国家統計局は恒例の記者会見もせずに、ネットへの掲載だけに留めた。発表当日の上海の株価指数は多きく下がり、それ以降も下がり続け、市場を失望させた。中国経済の現状は、失業者が溢れ、不動産危機に見舞われ、加熱していた不動産市場の抑え込みに政府は着手している。大手不動産業者の負債が表面化してまもなく4年となるが、その象徴ともいえる「恒大集団」の負債は約48兆円超えである。「碧桂圓」等の大手ディベロッパーもドル建て債のデフォルトを起こし、また「万科」は24年1月から6月期の決算で初の最終赤字となっている。実は、この「3中全会」が注目されたのは、1978年12月に当時の鄧小平政権がきっかけと巷間言われている。それまでの毛沢東時代の行き詰っていた経済を改革開放路線に舵を切ったのが当時の「3中全会」だったからだ。以上のような中国経済の減退にある背景を考えると、筆者にはどうしても昨年23年10月に、当時の李克強首相が享年68歳で非業の死を遂げたことが想起されて仕方がない。李氏は名門・北京大学法学部を首席で卒業し、首相として経済政策全般を担っていた。改革・解放に積極的で、22年6月の上海のロックダウン時には、脱コロナ政策に転じた経済通の現実主義者であった。筆者は15年の日中経済協会主催の合同訪中代表団に参加した際、一緒に記念撮影をしていたこともあり、李氏に対しては格別の思いがあった。李氏はかつて、共産党総書記の有力候補であったが、習氏との確執が表面化し、23年3月に引退となり、その後の謎多き突然死を迎えた。“粛清説”も流れた李氏の訃報を受け、経済強化政策の流れが失速したと見ている。中国は「習氏1強体制」の権力基盤となり、アメリカに追いつけとばかりに、軍事・外交だけでなく、経済分野の強大化も目指したものの、未だ好転の兆しは見えない。